2019年06月12日

堕落の10日間を経て

 こんにちは、パン助です。

引っ越しが終わり2週間が過ぎました。
実家に戻り、荷物の整理・・・といきたいところですが、荷物が多い。
前のパン屋さんなどの備品なども含めて、2トンロングのアルミバントラックがぎゅうぎゅうにしたのが、2杯分です。引っ越しのアルバイトでいう5人家族2組分以上の荷物を抱えていました。

 実家に帰ると、ニートだった頃を思い出します。
相変わらず社会に不安とかはあまりなく、借金さえ無ければダラダラと過ごしていても生きることはできます。
スマホやパソコンが1台あれば、退屈なんて言葉は存在しません。
どっぷりとYOUTUBEを見ていましたが、今の子達はこんなものを小さい頃から与えられたら、世の中に対して行動しようっていう気は無くなってしまうのではないかと、つくづく思いました。

YOUTUBERという仕事は、ほぼ毎日ネタを探したり、ゲームの実況をしたりすることで生計を立てます。常に更新をしていないと、他のユーチューバーにチャンネルを変えられてしまったりして、人が離れてしまうことがあるからです。ユーチューブの視聴者(リスナー、会員)は、お店でいう顧客です。
この顧客を離さないために色んなネタを提供したりする必要があります。そのユーチューバーがほぼ毎日更新をしているということは、人の数だけテレビのチャンネルがある。
つまり、スマホ一台あれば、100万以上のチャンネルがあるテレビを抱えているようなものなのです。
 アニメでいうなら、子供の時に来週楽しみにしているアニメ番組が、ほぼ毎日あるようなものです。

これに魅せられた若者は、自分も何か発信しようと試みて自分に何ができるかを考えますが、それが人目につくのは0.1%に満たないでしょう。既に自分よりも何年も多く生きている人たちが、人生経験のある人たちが、同じようなことをすれば大抵かなうはずがありません。自分にできることは何もないと、すぐにあきらめてしまうような時代なのかもしれません。
 
 ほぼ無職になった僕は、この10日間毛布に包まりぬるま湯に浸かり、世の中を気にせずに生活していました。

まともにすることと言ったら、料理を作ることぐらい。庭には親父が育てた野菜が、冷蔵庫を開ければ釣ってきた魚がいくらでもあり、買い物も週に一度行けば十分です。人生の春休みを満喫していました。

ふと、料理を作るの楽しいなぁと思っていて、感じました。
僕は食材を見るまで何を作ろうかとはあまり考えません。そこにあるものを見て、よし!今日はアジの南蛮漬けにしよう!とか、ひき肉があるから肉味噌豆腐にしよう!卵が賞味期限近いからオムライスだな!とかそんな感じで決めていきます。自分が美味しいと思うものを作ります。


 なぜか、僕は音楽家では無いですが、音楽家がもしこんな感じだったら、と考えました。
好きな音があったとします。
グラスをチーンと叩く音、シャンプーボトルをシュコシュコする音、手を叩く音、シンクが熱湯で凹む音・・・それを紡いでいたらいつの間にかリズムになっていて、それがメロディーになって、気づいたら歌を唄っているような。こんな曲を作りたい!じゃなくて、好きな音を重ねていたら好きな曲ができた、
 まるで、耳が心地いいという音を重ねていたら、曲ができていたような。


 これが、画家だったらどうでしょう。何かを描きたいものがあって、それを描くのではなくて。
スケッチブックで鉛筆を転がしていたら、それが模様になったり、何かに見えてきて、そこから線を紡いで動かしていたら絵になっていたような。目に心地がいいもの、自分が楽しいものを描いていたら、絵が完成したような。

 
 彫刻家だったら、石膏の塊があって、何かの形を作る目的じゃなくて、そこから好きに自分で削っていって自分の好きな形を追い求めていたら、自分の楽しい世界を追い求めていたら、何かができあがる。理屈が先じゃなくて、自分の本能的な感情を優先した結果に像ができる。


今の世の中は当然ですが、その完成品が目の前に並びます。
完成品が先にあって、その過程を探ることなんてまず考えません。いや、正確には、その過程(材料)を探ることはできますが、その材料を組み合わせるに至った感情や経緯を見ることはできません。
(例えば、料理なら、完成品の料理をみてその材料やレシピは調べればわかりますが、その時の料理人の感情やなぜその料理を作ったのかという経緯はレシピには載ってませんよね。)
 ユーチューブではそういった過程を撮影したものもあるので、全く見れないわけではないですが、世の中にそもそも需要があまりないので、需要が無い物は目につきにくいのが今のネットの仕組みなので仕方がないのかもしれません。


僕がパン職人になった時に、僕は粉と水と塩と砂糖と酵母とバターを与えられて、好きに作っていいよと言われたわけではありません。レシピが既にあって材料があって、その通りに作ったらおいしいパンができた。最も合理的なパンを作る方法です。上記の感情を優先した非合理なレシピなんて存在しません。

 僕は2年に満たない期間でパン屋を開いたので、上記の様な時間がありませんでした。
いや、あったのかもしれませんが、そういう考え方をしていませんでした。アルバイトをしながら合理的を優先し技術を身に着け、あるいはお店を開きながら身に着けていけばいいか、そんな楽観的な性格もあり、レシピの応用だけでパン屋を過ごしてきました。

 「おいしいパンを作りたい!」その目的でパン屋に入り、パン屋を開業してきましたが、もしまたパン屋をやるなら、粉と水と塩と砂糖と酵母とバターと・・・好きな材料を並べて、まるで音楽を楽しむように音を組み合わせてパンを作るのかもしれません。自分が作っていて楽しいパンを作るのだと思います。

 そして、この記事を書いていて思ったのですが、ブログの文章も僕はこうやって考えるのが楽しくて、それをまとめたり、あるいはまとめないまま書き綴っているのが楽しんだと実感しました。目的よりも過程が楽しいんですね。その結果、読んでくれている人がいて、これがパンだったら作るのが楽しくておいしいと食べてくれる人がいて・・・なんという幸せ!(笑)

 
 さて、僕は今年は電気工事士の資格を取ります。
資格が必要なのではなくて、やりたいことの過程に必要な材料です。パン屋を開業する人の応援をするための僕の人生のレシピに必要な材料。
 非効率かもしれません。合理的からかけな離れているかもしれません。何言ってんだコイツって思われるかもしれません。でも僕は、自分の人生をこれからも楽しんでいきたい。

 いろんなことを見つめなおすのに、休暇は必要なんですね。

あせらずゆっくりと、でもたまにはちょっと急いで(笑)
人生を楽しんでいきたいと思います。

 それでは、パン助でした。
 

 

 
posted by pansuke at 04:39 | Comment(6) | 日記